あれは悪夢であったと信じたい

こんにちは。

移住コンシェルジュの木元です。

最近二度寝の癖がつき、いつもギリギリの8時に目が覚めます。

目覚ましナシで8時に目が覚める自分がすごいなと毎回感心します。

あ、そもそも二度寝をするなという話なのですが(笑)

 

今朝もまた二度寝をしてしまったのですが、夢うつつになぜか千葉に居た時のあるエピソードを思い出しました。

それがあまりにも悲しく、地方に移住した今との違いを如実に感じるエピソードだったので、少しお話しさせていただきます。

2月のある寒い日と1人のおじいちゃん

あれは確か、今年の2月のことでした。

その日私は最寄り駅で買い物を済ませて自宅へ帰るところでした。

とても寒い日で足早に家へと向かっていたのですが、ある一人の老人の姿が私の目に飛び込んできました。

そのおじいちゃんは駅前の広場に寝転がっていたのですが、よく見ると、立ち上がろうとしても立ち上がれず何度も転倒していました。

私はその様子を見て一度は通り過ぎたのですが放っておけず、おじいちゃんの所へ歩み寄り声をかけました。

おじいちゃんはとても汚れたボロボロの服を着ていて、身をやつしていました。

どうやら腰が抜けてしまったらしく、立ち上がろうとしても踏ん張りがきかず倒れてしまうのです。

そこでタクシーを呼びましょうかと提案したのですが、お金がないらしくそれは出来ないと言われ、自宅まで歩いて帰ると言います。

しかし立ち上がることすら出来ないのに、自宅まで歩いて帰るなんて絶対無理です。

とにかく立ち上がらないことには、落ち着いて腰を下ろせる場所まで移動もできないので、私は何とかおじいちゃんが立ち上がれるように手助けしました。

おじいちゃんの体に手を回し、私の肩に腕をかけてもらって一生懸命に引っ張りますがおじいちゃんは立ち上がりません。

駅前の広場なので私とおじいちゃんのやりとりはかなり目立つし、色んな人が私たちを振り返って見ていました。

でも誰も手を貸してくれません。

しばらくすると一人の男性が近づいてきて「救急車を呼んだ方が良いよ。」とだけ言い放ち、去っていきました。

その時の男性は、倒れて立ち上がれないおじいちゃんをまるで汚い物を見るような目で見ていました。

おじいちゃんはもう、申し訳なくて仕方がないといった様子で「大丈夫だよ。歩いて帰るよ。ありがとう。」といって、私の助けを断りました。

私ももうどうすることも出来なくて「どうかお気をつけて。」という言葉を残してその場を去りました。

あの後おじいちゃんは無事に家まで帰ることができたのでしょうか。

都会の魅力って?

今朝あの時の事を思い出し、色々考えました。

そういえば東京や千葉ではホームレスの方をたくさん見かけたけど、こちらでは見ないなと。

都会に行けば仕事があると若者はみんな都会へ行きますが、都会の方が仕事がなく生活に苦しんでいる中高年が多い気がします。

今田舎には仕事がないからと都会へ出ていく若者たちの行く末が、もしそうなのだとしたら「都会には仕事がある」というのは幻想なんじゃないか。

そもそも、路頭で立ち上がれなくなるほど体が悪いのに病院に行けない、という状態になるなんて田舎では考えられません。

仮にそうなっても身近に必ず顔見知りがいるので助けを求められるし、顔見知りでなかったとしても立ち上がれない老人を見たら誰かしら助けの手を差し伸べるでしょう。

 

あの時の事を今思い出すと、あれは現実のことではなかったような気さえします。

むしろ現実であって欲しくない。

あれは悪夢であったと信じたいです。

 

人とのつながりが、血縁者か職場の人のみ。

下手したら血のつながった家族すらも頼ることが出来ない。

裕福な暮らしが出来る仕事は狭き門で、他は文字通り生きていくために働く仕事。

仕事が忙しくて、体を労われず病気になる。

給料が安くて、体に良くない食事しか摂れずに病気になる。

病気になっても病院に行けない。

精神的にも余裕がなく、他者には無関心。

自分の事で精いっぱい。

そして自分がいざという時、誰も助けてくれない。

 

こんなことは田舎では起こり得ないでしょう。

もちろん都会には色んな魅力がありますが、盲目的に若者が都会へ行く流れにストップをかけたい!

そのためには各々が考える力を身に付ける必要があります。

考える力とは、世の中であたかも常識と思われている事に対して自分がどう感じているかに向き合う力。

微力ながらこうしてブログで発信することで、これからを生きる若者に考える力を養うきっかけを与えられたらと思うわけです。

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